ひもじい思い

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今日、日本でひもじい思いをしている人はそういないだろう。みずから課したというのでなければ。わたしたちにとって「飢餓」というのは、究極の状態で犬や虫を食べたという話を祖父母の代から聞かされるくらいだ。(昆虫は地方によっては郷土料理となっているところもあるかもしれないが。あるときテレビ番組で、昆虫料理は長野の立派な食文化であると熱心に説き、この文化が次第に失われていくことを嘆いている人がいた。)

そのため、カンボジアでひもじい思いをしている人々と出会ったのは、わたしとって非常に考えさせられる経験だった。日本語で「ハングリー」というと「ハングリー精神」のほうの意味もあるが、わたしがこの短い旅で出会ったカンボジアの人々はどちらの意味でもハングリーだった。

国に壊滅的な打撃を与えた内戦もそう古い記憶とはなっていないのに、カンボジアは奇跡的な復興を遂げた。まだ国の大半は荒野だとしても。空港は近代的で立派な建物だったが、市街地に向かう途中、伝統的な建て方なのか、わらと枝でつくった掘立小屋に住んでいる人々を見かけた。この国には権力者と困窮している人々の間に大きな格差があるのかもしれないが、しかしこの旅行で見たかぎり、勤勉で不屈の向上心をもつカンボジアの人々がその地位に長くとどまっているとは思えない。

地雷の被害者たちは、寺院の敷地で見事な伝統音楽を奏でる。近くには「憐れみは欲しくないので楽器を演奏します。私たちの音楽が気に入ったらお金を置いていってください」と書かれた紙が置いてあった。ホテルでは伝統舞踊と料理の夕べが開かれている。観光客の前で踊る青年たちは、あきらかにこの「伝統舞踊」を習いたてのようだったが、あと一年もすれば立派な踊り手になっていることだろう。あるとき朝食の席で、ウェイターがにかっとわたしたちに笑いかけ、しゃべり始めた。注文を取ってからもずっと英会話の練習をしているので、わたしはフェリーの時間に間に合うかどうか不安になったが。それから、ガイドさんはそのうち日本語のクラスに通いたいと教えてくれた。日本語のガイドのほうが英語のガイドよりもずっと稼ぎがいいそうだ。英語がうまくなることや日本語が話せることは、この国では大きな収入アップに直結している。大きな収入アップはワンランク上の生活を意味する。少なくとも、飢餓のない生活を。

このガイド、パンさんと出会えたのは幸運なことだった。彼と話す中で、貧窮にあえぐカンボジアで生まれ育った彼の人生がどのようなものだったのかを少しでも垣間見ることができた。街中で犬や猫を見かけることがなかったため、ようやく一匹見つけた時に、わたしは思わず「犬!」と無意味に叫んでしまった。するとパンさんはすかさず、「犬が好きならいいレストラン知ってますよ」と教えてくれた。気まずい一瞬の後、わたしたちはたがいに間違いを悟った。また、わたしが石像を本物の猿だと勘違いしたときには、猿をつかまえて食べたものだが手だけは食べなかったという話をしてくれた。人間の手に似すぎているからだという。

カンボジアの人々はハングリーで「ハングリー」だった。旅の終わりには、掘立小屋からあの空港へと彼らが行きついた理由がわかったような気がした。いつか、パンさんも日本人観光客を相手にガイドとしてトップレベルの収入が稼げるようになればいいと思う。ひもじい思いをしなくなっても、彼なら空虚な思いにとりつかれることはないだろう。それは次の世代の話だ。

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オープンカフェ

海外旅行の楽しみはいろいろあるが、ひとつにその土地の食べ物を食するというものがある。たしかに、観光客向けの店で食事や買い物を済ませる快適さは否めない。どこに行っても食べ慣れたものがいいというむきもあろう。とはいえ、わたしはその国の代表的な食べ物をできれば現地の人が食べるようなところで食べてみたい。

カンボジアに行った際に、またこの「できれば本物の体験を」虫が騒いだ。首都プノンペンは復興・開発が進んでかなり立派なアジアの一都市になりつつあるが、それでも街外れには戦後日本を彷彿とさせるような光景がまだ残っている(終戦後の日本を知っているわけではないが)。

プノンペンの一角に西洋人街とでもいうような通りがあり、ここには高級レストランが集まり、西洋人が集う。内装はバリ島などのリゾート地のイメージで、道路に籐のテーブルと椅子が並べられ、オープンカフェになっている。夜になると電飾が点き、なんともデカダンな雰囲気だ。放浪した挙句に東洋で阿片を覚える西洋人の世界である。その区画は短く、観光客区が終わるととたんに道路の舗装はなくなり、埃だらけのむき出しの道路が続く。説明はしがたいが、わたしは生理的な嫌悪感を覚えた。はだしの現地人が埃の中を歩くわきで、西洋人が桁違いの額を払ってコーラを飲み、シェパードパイを食べている。

当然そこは端から眼中になく、目指した先は現地人の集うバーだった。昼間は何もなかった道路端に、メタルのテーブルとプラスチックの椅子が並び、移動式の屋台(といってもただの台といった方がいいような代物で、台湾の夜市の料理屋台を想像していただきたい)の後ろで女性二人が調理をしていた。

観光客は影も形もない。半径三キロ以内に外国人はいないだろう。これ以上はないくらい本格的にカンボジアだ。緊張しながら席に着き、ビールを注文した。一日の仕事を終えた地元の人が集う場所なのだろう。なかなか盛況で、(当然ながら)みんなカンボジア語で会話に興じている。風と埃の吹き抜ける、建物もない道路端で、薄暗がりの中カンボジアの夜が更ける。

観光客の性か、単なる写真好きか、このシュールで感動的な光景を写真に収めたかった。ためらわれた。冒涜、侮辱。シュールと感じる時点ですでにこの国の人々を珍奇な動物扱いしているのではないだろうか。題は「ハッテントジョウコクジンの生態」か。おとなしくあの外国人地区に行くべきだったのだろうか。

翌朝、その高級レストラン地区に通りかかった。前夜の華々しさは嘘のようで、日の光にさらされた砂だらけのそのオープンカフェは、昼間の花魁はかくもあろうかというものだった。従業員が埃を払って、歩道に突き出したカフェの一角をまた元通りのリゾート地高級カフェに整えようとしていた。魅惑の東洋も学芸会の劇の大道具(もしくは『シベリア超特急』)と変わらないのかと思え、その安っぽさに金持ち観光客への軽蔑の念を覚えてしまうと同時に不思議と心が安らかになった。

こうして彼らはこの国で手に入る材料でせっせと「魅惑の東洋」を作っている。セイヨウジンは舗道のある一画で「コーラ」と「ビーフシチュー」を、人間はこっちの土埃りオープンカフェで本物の食べ物を。頼まれもしないのにわたしが偉そうに義憤を感じる必要はなかった。ここの人々は充分にたくましい。

ちなみにプノンペンで食べたスパゲッティはこれまでのワーストワン、英国の某チェーンレストランのスパゲッティよりもまずかった。カンボジア料理の定番フォーがおいしかったのは言うまでもない。

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