生まれてきちまった悲しみに
先日姪と『オズ はじまりのたたかい』を観てきたので、久しぶりに。
偉大な人間になりたいと思いつつ、自分はペテン師だと思っている男の物語。
どうして人はそれほどまで自分に自信がもてないんだろう。
自信はあっても、現実の自分の姿が邪魔する。小さい頃母親から絶対的な無条件の愛情を注いでもらえなかった。日頃の行いが悪すぎる……。
理由はいろいろだろうけど、自分の価値なんて、基本、人が教えてくれるものだと思う。誰も同意してくれないけれども私はすごい、なんて思える人はかなりおめでたい。
本当はひとりひとりがかけがえのない命で(何しろ同じ人間はひとりとしていないので)、生まれてきたというだけで奇跡なのだけれども、でも存在してるだけですばらしい、なんて言われても本人は納得がいかない。何か理由づけが欲しい。ひとりひとりが特別なんだよ、誰だってほんとはオンリーワン、じゃ、みんな問答無用に特別というわけで、じゃ、この私という人間には別に意味はないんじゃ、ということになってしまう。
そこで、ほかの人たちはどうでもいいけど、あなたは私にとって唯一無二の特別な存在なの、と言ってくれる人がいると、迷えるちっぽけなエゴもようやく居場所が見つかった気になれる。
そんなものなのじゃないだろうか。自信なんてなくって当たり前のものなのでは。だから、自分の価値を信じてくれる人の言葉は素直に聞いておいた方がいい。それを信じないのは甘えすぎ。自信のなさ、人生に戸惑っている不安なんて、人に丸投げできるものじゃない。
きっと、誰だってこの広い世界の中でどうにか生きていける小さな自分用のスペース(多分六畳一間くらい)を見つけようとしているんじゃないだろうか。それは、公私で見つけていくものだと思う(仕事の上で自分の地位を確立していくことと、プライベートで人生をともにする人を見つけること)。
でも、あなたはここにいていいんだよ、って誰にも言ってもらえないこともある。自分で自分に言うしかないこともある。
そういう時には、縁あって知り合った者としてひとこと言いたい。
誰が何と言おうと、あんたはえらい!
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