生まれてきちまった悲しみに

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先日姪と『オズ はじまりのたたかい』を観てきたので、久しぶりに。

偉大な人間になりたいと思いつつ、自分はペテン師だと思っている男の物語。

どうして人はそれほどまで自分に自信がもてないんだろう。

自信はあっても、現実の自分の姿が邪魔する。小さい頃母親から絶対的な無条件の愛情を注いでもらえなかった。日頃の行いが悪すぎる……。


理由はいろいろだろうけど、自分の価値なんて、基本、人が教えてくれるものだと思う。誰も同意してくれないけれども私はすごい、なんて思える人はかなりおめでたい。


本当はひとりひとりがかけがえのない命で(何しろ同じ人間はひとりとしていないので)、生まれてきたというだけで奇跡なのだけれども、でも存在してるだけですばらしい、なんて言われても本人は納得がいかない。何か理由づけが欲しい。ひとりひとりが特別なんだよ、誰だってほんとはオンリーワン、じゃ、みんな問答無用に特別というわけで、じゃ、この私という人間には別に意味はないんじゃ、ということになってしまう。


そこで、ほかの人たちはどうでもいいけど、あなたは私にとって唯一無二の特別な存在なの、と言ってくれる人がいると、迷えるちっぽけなエゴもようやく居場所が見つかった気になれる。


そんなものなのじゃないだろうか。自信なんてなくって当たり前のものなのでは。だから、自分の価値を信じてくれる人の言葉は素直に聞いておいた方がいい。それを信じないのは甘えすぎ。自信のなさ、人生に戸惑っている不安なんて、人に丸投げできるものじゃない。


きっと、誰だってこの広い世界の中でどうにか生きていける小さな自分用のスペース(多分六畳一間くらい)を見つけようとしているんじゃないだろうか。それは、公私で見つけていくものだと思う(仕事の上で自分の地位を確立していくことと、プライベートで人生をともにする人を見つけること)。


でも、あなたはここにいていいんだよ、って誰にも言ってもらえないこともある。自分で自分に言うしかないこともある。


そういう時には、縁あって知り合った者としてひとこと言いたい。

誰が何と言おうと、あんたはえらい!

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用足し

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この洗練された社会は、人間は生理的機能というものを持たないという前提に立っている。排泄行為は「用足し」と称される。交尾するのは動物だけであり、人は愛を交わすものである。女性は汗をかかない。まして、おならなど医学上の現象にすぎない。

つまり、われわれはげっぷもおならもおしっこもうんちもしないのである。そういった下品なことは文明社会ではついぞ聞かれない。それなのに、食事の席が社交の場としてしばしば選ばれるのは非常に不思議なことである。食べるという行為には咀嚼、嚥下、溜飲、消化不良による種々の雑音、放屁など、数々の危険が伴う。文明社会においてはタブーとして忌み嫌われていてもおかしくないはずだ。

特に、デートに食事が好まれるというのには納得がいかない。好きな人の前で噛んだり、食らいついたり、噛みちぎったり、ほうばったり、飲み込んだり、飲み干したりできる女性がいるだろうか? どれほど進歩的な女性でも、ディナーデートでろくに食べ物の味もわからなかったという気まずい思いをしたことが一度くらいはあるはずだ。われわれはこのように人前で食するという危険を敢えて冒している。立派な毛皮を持った祖先は遠い記憶の今、食欲というむき出しの欲望を前にしても礼儀作法は保たれるとわれわれは過信しているのだろうか。

服装もそうである。人類の歴史とは体を布で覆ってきた長い歴史であるといっても過言ではない。裸一貫からスタートした人類が、十九世紀末にはびっちりと服を着こむようになった。幾重にも重なった服装の、その過剰なまでの「素肌を隠す」ことへのこだわりに、優雅、洗練のきわみがあった。それも理屈に反したことではない。洗練というのが動物としての本性を刺激しないように生殖器や体の部分をできるだけ隠すということであるのならば。

しかし、二十世紀の終盤にこの現象が逆行し始めた。人類はこれまで着こんできた服を一枚一枚脱ぎ始め、かつて下着だったものが今では堂々と日のもとで着られるまでになった。トップモデルたちが素っ裸でキャットウォークを練り歩く日も近いことだろう。これはどういうことだろう。ついに人類は自分が何者かを思い出し、人間社会という虚構は放り出して自然に帰ろうというのだろうか?

いや、そうではない。頑健な祖先の正装に近づきつつある一方で、われわれはまた毛をなくすということに異常なまでに固執しはじめているという事実に注目されたい。他国はともかく日本では、レーザー脱毛に通うのは女性だけではない。われわれは以前よりも素肌をさらすようになったかもしれないが、さらされた裸体は毛皮に覆われていたかつての肉体とは到底同じ種とは思えないような代物である(トップモデルがパリコレで裸を披露する暁には、その陰毛は現実にはありえないような形に完璧に手入れがされていることだろう)。

つまり、われわれは獣性などないと顔をして、きわどい場面でその洗練ぶりを試すという遊びをまだ続けているのだ。タブーとは、とどのつまり、つまらない社会を面白くするために自ら設けた制限というスパイスにすぎないのかもしれない。

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下心

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うちの居間には仏壇がある。ご先祖様にはお願いごとをしてはいけない、もちろんわたしたちのことを見守ってくださっていて、悩める時には導いてくださるだろうが、願いごとをいろいろとかなえてくれる力は先祖の霊にはないのだと教わった。そのため、仏壇に手を合わせるときには近況報告をするだけにしている。


最近、姪が二歳にしてすでに信心深いことを知った。仏壇の前に座ってお祈りしろとわたしに言うので、この命令に喜んだ叔母がいそいそと座り仏壇に声をかける間もなく、今度はどいてと言う。背筋をぴんと伸ばしてちんまりと完璧な正座をし、殊勝にも小さなお手手を合わせて座っている姿には、何を考えているのかは知らないが胸を打たれるものがあった。


もうひとりの健在にしている祖母に姪を会わせに
最近兄が青森まで連れていったのだが、どうも祖先崇拝の教えを少しやりすぎてしまったのではないか、とふと思った。この仏壇におじいちゃまおばあちゃまが住んでいるのよ、とわたしが姪に教えたので、仏壇にも表敬訪問をしなければならないと彼女は思ってしまったのだろうか。鉄は熱いうちに打てとやらで、今では立派に敬虔な仏教徒である。


いや、これはキリスト教の教えもあるのかもしれない。姪はとても素晴らしい保育園に通っているのだが、クリスチャン系の保育園で、園歌にも「天の神様に感謝します」というようなくだりがあることを運動会の日に知った。どうやら祈りの時間もあるらしい。最近では、姪はたまに園歌の特にその部分を家でも歌うようになった。間違った文節で息をのむ幼児の歌い方が何とも愛くるしいのだが。


そういったことをわたしがつらつらと考えているうちに、姪が小さな手をさげて、「カキちょうだい」と言って両手を仏壇のほうに差しだした。仏壇にはてらてらと光る大きなオレンジ色の柿がお供えしてあった。

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ひもじい思い

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今日、日本でひもじい思いをしている人はそういないだろう。みずから課したというのでなければ。わたしたちにとって「飢餓」というのは、究極の状態で犬や虫を食べたという話を祖父母の代から聞かされるくらいだ。(昆虫は地方によっては郷土料理となっているところもあるかもしれないが。あるときテレビ番組で、昆虫料理は長野の立派な食文化であると熱心に説き、この文化が次第に失われていくことを嘆いている人がいた。)

そのため、カンボジアでひもじい思いをしている人々と出会ったのは、わたしとって非常に考えさせられる経験だった。日本語で「ハングリー」というと「ハングリー精神」のほうの意味もあるが、わたしがこの短い旅で出会ったカンボジアの人々はどちらの意味でもハングリーだった。

国に壊滅的な打撃を与えた内戦もそう古い記憶とはなっていないのに、カンボジアは奇跡的な復興を遂げた。まだ国の大半は荒野だとしても。空港は近代的で立派な建物だったが、市街地に向かう途中、伝統的な建て方なのか、わらと枝でつくった掘立小屋に住んでいる人々を見かけた。この国には権力者と困窮している人々の間に大きな格差があるのかもしれないが、しかしこの旅行で見たかぎり、勤勉で不屈の向上心をもつカンボジアの人々がその地位に長くとどまっているとは思えない。

地雷の被害者たちは、寺院の敷地で見事な伝統音楽を奏でる。近くには「憐れみは欲しくないので楽器を演奏します。私たちの音楽が気に入ったらお金を置いていってください」と書かれた紙が置いてあった。ホテルでは伝統舞踊と料理の夕べが開かれている。観光客の前で踊る青年たちは、あきらかにこの「伝統舞踊」を習いたてのようだったが、あと一年もすれば立派な踊り手になっていることだろう。あるとき朝食の席で、ウェイターがにかっとわたしたちに笑いかけ、しゃべり始めた。注文を取ってからもずっと英会話の練習をしているので、わたしはフェリーの時間に間に合うかどうか不安になったが。それから、ガイドさんはそのうち日本語のクラスに通いたいと教えてくれた。日本語のガイドのほうが英語のガイドよりもずっと稼ぎがいいそうだ。英語がうまくなることや日本語が話せることは、この国では大きな収入アップに直結している。大きな収入アップはワンランク上の生活を意味する。少なくとも、飢餓のない生活を。

このガイド、パンさんと出会えたのは幸運なことだった。彼と話す中で、貧窮にあえぐカンボジアで生まれ育った彼の人生がどのようなものだったのかを少しでも垣間見ることができた。街中で犬や猫を見かけることがなかったため、ようやく一匹見つけた時に、わたしは思わず「犬!」と無意味に叫んでしまった。するとパンさんはすかさず、「犬が好きならいいレストラン知ってますよ」と教えてくれた。気まずい一瞬の後、わたしたちはたがいに間違いを悟った。また、わたしが石像を本物の猿だと勘違いしたときには、猿をつかまえて食べたものだが手だけは食べなかったという話をしてくれた。人間の手に似すぎているからだという。

カンボジアの人々はハングリーで「ハングリー」だった。旅の終わりには、掘立小屋からあの空港へと彼らが行きついた理由がわかったような気がした。いつか、パンさんも日本人観光客を相手にガイドとしてトップレベルの収入が稼げるようになればいいと思う。ひもじい思いをしなくなっても、彼なら空虚な思いにとりつかれることはないだろう。それは次の世代の話だ。

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マニア

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日本語は難しい言語だとされている。ひらがな、かたかな、漢字と三種の文字をもつため、外国人には習得が困難だというのが一般的な(いくぶん国粋主義的な)意見だ。が、わたしはこれまで日本語が流暢な外国人を数多く見てきた。彼らはお箸と同じくらい上手に日本語を操る。これもまた日本人にとっては驚きの偉業なのだが。(ちなみに、彼らはたいてい厚かましくも日本人にしか理解できないはずの納豆すら大好きだということが多い。)

こういう非凡な言語学者たちは、おおまかに言ってふたつのタイプに分かれる。アニメファンと武道愛好家だ。どちらかといえば武道家たちのほうがより熱狂的な愛日派である。おそらく、逆境や克己を信条とするためだろう。

ダブリンに留学した際、わたしはホームシックのためか合気道クラブに入会した。驚いたことに、大男のアイルランド人の先生はそこらの日本人よりもよっぽど過激に日本人だった。道場では厳粛な秩序が保たれていた。クラスの時間が近づくと、誰が言い出すともなく、みんな何も言わずに左から右へと段位の順に一列に並んで座る。稽古中は無駄口をきく者などなく、投げられては起き上がってまた投げられに行き、優雅な「気」の踊りを舞うのだった。

というのはつまり、「敵」の手首をやさしく握ると、受け身をとれるように相手がそっとうながしてくれる、ということだ。わたしは常々合気道は「やわ」な人のための武道だと思っていた。クラブの面々をとってみても、誰一人として克己に燃えるストイックで攻撃的な武道家タイプではない。マッチョではないのだ。体格面のことを言っているわけではなく、まあ体格もそうなのだが、精神的にマッチョではない。取っ組み合いの喧嘩をする姿は想像もつかないような人ばかりだった。

最後の年に、見るからにほっそりとしていて優しそうなわたしの友人が部長になった。とても誰かをこてんぱんにのすような人ではない。当意即妙な受け答えで相手をやりこめるというのでなければ。それが、驚いたことに彼女は最近すっかり熱狂的な合気道家になりつつある。延々と受け身の練習をさせられた合宿のことを懐かしんだり、今の道場では男性陣が激しい技をかけてこないと文句を言ったりするくらいだ。

正直言って、彼女の気持ちはわかるところもある。わたしも帰国してから合気道をまたやってみようかという気になり、近所の道場に行ったことがあるが、秩序も何もあったものではないこの道場に大変憤慨したことがある。このときばかりは盾の会の一員になったような気分だった。

どんなにやる気のない者ですら、気がつくと思わず厳しい特訓を求めるようになっているのは一体どういうことなのだろう。これは武道が野蛮な過去の記憶を呼び起こすからだろうか。それとも、個々の人間などよりも大きな存在に身を任せてしまいたいという本能が刺激されるからだろうか。そういった意味で、武道は宗教と似ているとも言えるのかもしれない。宗教を信じる人には信仰がある。北朝鮮の人民には行進歌がある。ヒッピーにはマリファナと愛がある。日本には宗教や国家という屋台骨はないかもしれないが、それでも武道がある。熱狂的な武道マニアから正真正銘のやわ男まで楽しめる武道が。

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男の領域

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最近NHK教育テレビが変わってきている。夕方に偶然つけた三チャンネルで、UAが派手な格好で童謡をジャジーに歌っているのを見て度肝を抜かれた。UAで育つ今どきの子供は、将来一体どんな音楽を聴くことになるのだろう。と思っていたら、今度は夜中にまたもや偶然教育テレビで奇怪なものを見つけた。

昨年かそこら、姫ファッションというものが世間を騒がせていたらしいが、この番組ではいわゆる「おネエ」ではないもののかなり男性臭の抜けた男性ネイリストの「王子様」が、かぶりものをした芸人ふたり(柳原可奈子による「姫」と鴨のような格好をした有吉弘行)にネイルアートを教えていた。王子様のレッスンは役に立つものばかりで、長い爪に数日以上我慢ができないわたしもぜひ試してみたいと思わされた。「うん、きれいにぬれてるね」と言う王子様を見て、放送枠を考えれば大人向けの番組とはいうものの、教育テレビでこんな番組が流されるようになった日本は真にジェンダーフリーの社会に近づきつつある、と思った。

これは喜ぶべき進歩だ。グッチのバッグを手に、細身の体に最新ファッションを着こなし、きれいに眉をお手入れした無駄毛のない「草食動物」男性で国中があふれかえっても、結婚率・出産率がかぎりなくゼロに近づいたとしても、「男性らしさ」「女性らしさ」というものが人間の本質的なものではなく、社会の選択にすぎないということが認識されるのはすばらしいことだ。神もニーチェもとっくに死んでポストモダンも古い今、そろそろ社会もジェンダーの枷から自由になってもいい頃なのだ。

とはいえ、わたしは別にジェンダーというものを目の敵にしているわけではない。役割分担というのは社会にとってある程度必要であるとすら思う。トイレでも掃除しようかというときに、「待って、それはぼくがやるよ。これだけは男の領域だから譲れない」と夫があせって駆けてくるというのであれば。

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オープンカフェ

海外旅行の楽しみはいろいろあるが、ひとつにその土地の食べ物を食するというものがある。たしかに、観光客向けの店で食事や買い物を済ませる快適さは否めない。どこに行っても食べ慣れたものがいいというむきもあろう。とはいえ、わたしはその国の代表的な食べ物をできれば現地の人が食べるようなところで食べてみたい。

カンボジアに行った際に、またこの「できれば本物の体験を」虫が騒いだ。首都プノンペンは復興・開発が進んでかなり立派なアジアの一都市になりつつあるが、それでも街外れには戦後日本を彷彿とさせるような光景がまだ残っている(終戦後の日本を知っているわけではないが)。

プノンペンの一角に西洋人街とでもいうような通りがあり、ここには高級レストランが集まり、西洋人が集う。内装はバリ島などのリゾート地のイメージで、道路に籐のテーブルと椅子が並べられ、オープンカフェになっている。夜になると電飾が点き、なんともデカダンな雰囲気だ。放浪した挙句に東洋で阿片を覚える西洋人の世界である。その区画は短く、観光客区が終わるととたんに道路の舗装はなくなり、埃だらけのむき出しの道路が続く。説明はしがたいが、わたしは生理的な嫌悪感を覚えた。はだしの現地人が埃の中を歩くわきで、西洋人が桁違いの額を払ってコーラを飲み、シェパードパイを食べている。

当然そこは端から眼中になく、目指した先は現地人の集うバーだった。昼間は何もなかった道路端に、メタルのテーブルとプラスチックの椅子が並び、移動式の屋台(といってもただの台といった方がいいような代物で、台湾の夜市の料理屋台を想像していただきたい)の後ろで女性二人が調理をしていた。

観光客は影も形もない。半径三キロ以内に外国人はいないだろう。これ以上はないくらい本格的にカンボジアだ。緊張しながら席に着き、ビールを注文した。一日の仕事を終えた地元の人が集う場所なのだろう。なかなか盛況で、(当然ながら)みんなカンボジア語で会話に興じている。風と埃の吹き抜ける、建物もない道路端で、薄暗がりの中カンボジアの夜が更ける。

観光客の性か、単なる写真好きか、このシュールで感動的な光景を写真に収めたかった。ためらわれた。冒涜、侮辱。シュールと感じる時点ですでにこの国の人々を珍奇な動物扱いしているのではないだろうか。題は「ハッテントジョウコクジンの生態」か。おとなしくあの外国人地区に行くべきだったのだろうか。

翌朝、その高級レストラン地区に通りかかった。前夜の華々しさは嘘のようで、日の光にさらされた砂だらけのそのオープンカフェは、昼間の花魁はかくもあろうかというものだった。従業員が埃を払って、歩道に突き出したカフェの一角をまた元通りのリゾート地高級カフェに整えようとしていた。魅惑の東洋も学芸会の劇の大道具(もしくは『シベリア超特急』)と変わらないのかと思え、その安っぽさに金持ち観光客への軽蔑の念を覚えてしまうと同時に不思議と心が安らかになった。

こうして彼らはこの国で手に入る材料でせっせと「魅惑の東洋」を作っている。セイヨウジンは舗道のある一画で「コーラ」と「ビーフシチュー」を、人間はこっちの土埃りオープンカフェで本物の食べ物を。頼まれもしないのにわたしが偉そうに義憤を感じる必要はなかった。ここの人々は充分にたくましい。

ちなみにプノンペンで食べたスパゲッティはこれまでのワーストワン、英国の某チェーンレストランのスパゲッティよりもまずかった。カンボジア料理の定番フォーがおいしかったのは言うまでもない。

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ほつれた巻き毛

幼少のみぎりから日本古来の伝統を継承してつややかな碧の黒髪だった。つまり、直径何ミリだかは知らないが、まっすぐにしか生えることができないくらいの剛毛だった(しかも毛の量が異常に多かった。初めて行った床屋さんまたは美容院で、「毛が多いですねー」と言われなかったことはない)。当然、ふわふわとした柔らかな茶色のくせ毛にあこがれた。ふんわりとほつれさせてみたかった。

風になびくこともなくつねに固定状態の直毛だったわたしと違い、幼稚園で一緒だった彼女は幼稚園児でありながらすでに、今のわたしが美容院で高いお金を払っても手に入れることのできないフェミニンな髪型(重力を感じさせない、妖精でもひそんでいそうな空気感たっぷりのふわふわルック)を完成させていた。ある日、「なんで自分のことかっちゃんっていうの、おかしいよ」と彼女に指摘され、ショックを受けたことがある。四、五歳ですでに自分のことをわたしと呼べる幼稚園児。大人だった。(ちなみに名前まで彼女は恵まれていて、そのままで芸名になりそうな素敵な名前でうらやましかった。)

高校時代に初めてパーマをかけてみたが、大失敗に終わった。母が通っている家の斜め向かいのパーマ屋さんに行ったのがおそらく間違いの元だろう。見事なおばさんパーマで、彼女のような自然にうねうねとした巻き毛とは程遠かった。後に今度はおしゃれとされている美容院でパーマにふたたび挑戦したが、やはりパーマはパーマだった。

しかし、長年反発していた茶髪がいまさら大胆でも何でもなくなった頃に、人に言われてようやく毛を赤茶色に染めてみると、髪質が変化した。毛先が自然にゆるやかなたて巻きにカールするのだ。二、三日髪を洗わないでいると。特に耳のあたりの髪(もしかしてもみあげが伸びたものだったのだろうか?)のカール具合が他よりも強く、気に入っていた。当時の彼氏に喜んで巻き毛ぶりを報告すると、「髪洗ってないんだね」と、女心はわかってもらえなかった。

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